ビル管理会社のボイラー室

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 ボイラー2級免許を取得してからしばしば新聞の求人欄を見るようになった。2センチ四方程度のまことに小さい求人欄で、電気工事士なら「電工」と書かれ、「委細面談、電話○○」等まるで電報の電文のようにそぎ落とした文章が並んでいる。ちなみにボイラーマンであれば「2級ボイラ」などと書かれている。ある日いつものように求人欄をじっくり眺めていると、「ビル管 勤務日本橋 要面談」とあるので日本橋なら総武線快速で1本だなと考えて応募することにした。行くと、すぐに採用が決まり、新日本橋の駅からすぐのやや古いビルのボイラー室に勤務が決まった。


 早速、朝早くビルの地下に降りると炉筒円缶ボイラーが低いうなり声を上げており、むっとした空気が充満している。ボイラーの前にはかなり高齢のおじいさんが座り込んでおり、彼が先輩のAさんであることがすぐにわかった。挨拶をすると「良く来たな。こんなひどい職場に。後悔するぞ。」などと初日から脅しにかかる。夏も冬も暑いうえに床はコンクリで汚く、油が染みているのであまり快適な職場とは言えないが、ペンキ屋で屋根に登っていた身からすればなかなか上々の職場だと思う。Aさんはボイラーの分厚いマニュアルを投げてよこし「とにかくこれ読んでおいて。一日3回から4回は温度と圧力をチェックするから。点火作業はまだあんたには早いのでおれがやる。しかしいずれあんたにもやらせる。」そんな事を言い、どこかに出かけてしまった。仕方なく、炎がよく見える点検窓からボイラーの中を見ると、紅蓮の火が激しく渦巻いている。火を見ると落ち着く人が多いが、私もその口で、何となく心穏やかになってきた。マニュアルは昔から読むのが好きで、電化製品でも最初から最後までじっくり読んでから製品に取りかかる。この大型の機械も同じようにするつもりだ。


 数日勤務していると職場の状況が大分わかってきた。朝、ボイラーを点火して火が安定し、蒸気圧力と水温が規定に達すれば後はあまりやることがないという点。つまり暇なのである。そこでAさんの昔話に付き合わされることになる。私はむしろこのために配属されたのかもしれない。


 Aさんは第二次大戦時に南方(インドシナ半島方面)で兵隊をしていた。赤紙一つで送られた徴兵によるものであるから2等兵の最下級である。当然、ひどいいじめに遭う。特に上官のいじめはひどいもので、自分のストレス発散を兼ねて暇さえあれば下等兵を殴っていたそうだ。Aさん曰く「もう殴るのが趣味みたいなものでね。朝から晩まで暇さえあれば殴られていた。理由は何とでも作れる。もうキリがないね。」Aさんももちろん顔が変形するほど殴られていたそうだ。当然下等兵達の上官達への憎しみと恨みはすさまじいもので、皆が集まると上官をいつ殺すか、その方法を話し合っていたそうだ。一番のチャンスは戦闘時である。上官の後頭部に向け38歩兵銃をぶっ放す。あわれ上官は名誉の戦死ということになる。衛生兵が来て、死体を引っ張っていくがどう見ても後頭部の射入口が小さく、前頭葉の射出口が大きいので後ろから撃たれたことは歴然なのであるが、日頃の上官の悪辣な仕業を承知しているので特に問題なく処理されたそうだ。こうして戦闘の度に多くの上官が射殺され、死屍累々のひどい状態であったという。こうなると上官たちも考えてきて、下等兵たちに前に行けと命令し、自分は後ろの方でグズグズしているらしい。


 するとさらに後ろの下等兵が上官の後ろから玉を放ち、ひどい時は前線の下等兵が味方の上官に向けて後ろ向きに銃を撃つありさまで、もうこうなると悪循環の魔のスパイラルである。こんな馬鹿な戦争に勝てる訳がなく、あえなく終戦となった。武装解除で武器がなくなり、とにかく日本に帰れるか否か瀬戸際の状態となるが、下等兵達はいままで自分たちを殴り続けた上官をいかに処分するかを話しあつていたそうだ。ある日、一番殴りまくっていた上官がこそこそと荷物をまとめて黙って逃げるように兵舎を出るのが目撃された。下等兵達はその話を聞くと「逃がすな。あいつだけは日本に返すな。」そう叫び、何十人かで上官達を追いかけ、追いつくと半殺しの目に遭わせたそうだ。Aさんは「あの上官は多分、日本に帰れなかったと思う。道の途中で息絶えただろうな。」そんな話しをして悲しい目でボイラー室の天井を眺めた。


 日本は戦争に負けたが、これはひとえに兵站とか戦略、物量などの問題とかではなく、日本人本来の人間性の問題であろう。サッカーの試合中に同じ仲間同士で殴り合うようなチームが果たして勝てるであろうか。ムリである。評論家や歴史家は日本の敗戦原因を色々あげているが、内部で分裂している国は荒廃に帰するという単純な理由であることが良くわかる。