運河の運の無い猫

高校生日記

 バス便の無い駅から3キロばかり離れた最果ての高校に通っていた。通学路に家はなく、茫漠たる荒れ地が広がる無味乾燥の砂漠のような場所である。夏になると40度近い熱風が吹き、その風で髪が自然にセットされた。一番ひどいのは春の嵐で、30メートル以上の強風が地面の砂を巻き上げ、茶色いかたまりとなって襲ってくる。少しでも目を開けると容赦なく砂が目に飛び込んでくる。仕方なしに目を半分つぶり、タオルを顔に巻いて、ベドウィン族のような姿で僅かな隙間から地面を眺めながらとぼとぼ歩いた。やがて学校が近づくと汚い運河が現れる。黒いドロドロした水がうごめき、様々なゴミが流れている。運河の幅は30メートルくらいだろうか。護岸両面はコンクリ-トの垂直の壁になっており、落ちたらつかまる場所が無いのでそのまま沈むしかないであろう。

 ある日、学校の帰りに運河を渡る橋に通りかかると数人の男子学生が集まり運河を見ている。何事かといぶかりながら「何してんだよ。」声を掛けると「猫だよ、猫。」そう言われて運河を見るとどうしてそうなったのか不明であるが、運河の壁の途中にある10センチほどの僅かな出っ張りに猫がしがみついているではないか。どうも考えるに運河の脇の道路を歩いていた猫が、誤って落ちたらしい。しかし、奇跡的に水面まで2メートルほどの位置に出っ張りがあり、そこに引っかかって水没をまぬがれたようだ。猫は出っ張りの部分に体を丸くして必死にしがみついている。「助けるか?。」そう聞かれた私は「突き落とせ。」そう言うなり、荒れ地のゴミを探り、長い竹竿を持ってきた。私は猫の真上に来ると竿を猫に力いっぱい突き出した。しかし、うまく行かない。私は竿を投げ出して猫の居る反対岸に渡り、そこから今度は石を投げることにした。上手く投げているつもりだが、石はなかなか猫にヒットしない。そうこうするうちに学生が続々と橋に集まり、私の投擲を見学している。「俺にもやらせろ。」そんな事を言い出す生徒も現れ、10人近い男子学生が順番に石を投げるという誠に残酷なショーが始まった。そこに女子生徒も駆けつけ、「可哀想じゃない。やめてよ。」そう懇願する女生徒もいたが、男子は完全に無視した。

 やがて生徒達が最も期待する野球部の生徒がやってきた。「オーイ。あの猫に石ぶつけて川に落としてよ。」そう誰かが言うと、野球部の生徒は握りこぶし大の石を持ち上げ、鋭いライナーを放った。石は見事に猫に命中し、一瞬フラッとしたが、落ちないで持ちこたえている。「なかなか根性がある猫だな。」野球部の生徒はそれだけ言うと帰ってしまった。私もかれこれ1時間は投擲しているが、当たる気配すらにない。もうこれ以上馬鹿な事はやめて帰ろうかと考える。他の生徒を見ると「俺たちはあの猫を水没させるまで諦めないぜ。」そんな事を言いながら石を投げ続けている。私はまた荒れ地をぶらぶら歩きながら帰路についた。時々後ろを振り返ると悪ガキどもが必死に石を投げている姿が遠目に見えた。

 翌日の朝、小走りに運河に駆け寄り、猫の居た場所を見ると、もう猫は居なかった。他に出っ張りがないので上に上がる方法はなく、誰かに石を当てられて下に落ちて水死したのかもしれない。それとも力尽きて下に落ちたか。もう今となっては真相は全て闇の中である。