駅から離れた高校なら普通バス便くらいはあるものだ。しかし私が合格した高校は新設校ゆえにバス便がまだなかった。しかたなく私は一番近い駅からおよそ3キロの道のりを毎日歩く羽目になった。そこは埋め立て地にアスファルトの道路を敷いただけの貧相な場所で、人家は無く、ただただ広い空間とそこに生えるおびただしい雑草、遙かに校舎が見える茫漠とした荒涼地であった。一応碁盤の目のように道はあるのだが、私たちは近道をするため泥だらけの草地を歩いていた。荒れ地には時々野犬も出没した。数匹の群れをなしており、嫌な目つきで近づいてくる。もちろん石はそこら中にあるのでいつもそれを投げつけて退散させていた。
学校に慣れてくるとたくさんの友人ができる。朝は急いでいるので足早に歩くだけの通学であるが、帰宅時はまことにのんびりしたもので、特に私のような帰宅部生は仲閒が多く、彼らとそれこそ野犬のように群れをなしながら歩いていた。3キロの道はかなりあり、そこをゆったりとした亀のような歩調で歩くので大いに話しが弾んだものだ。随分様々な事を話し合った。映画好きの男とは映画の話しばかりしていた。私がどんなに頭をひねって彼が見ていないようなレアな映画の題名を出したとしても、彼は易々と監督名、出演者の氏名、あらすじをスラスラとそらんじた。「君は淀川さんみたいな映画評論家になればいい。」そんな事を言った。別の男はビートルズの大ファンで、バッハ好きの私とは音楽論で口論した。音楽性やリズム、癒やし効果の大小など微に入り細に渡りながら討論したが結局3年間では決着が付かなかった。演劇部の男とは演劇論を戦わせた。安部公房の「棒になった男」の認識を巡る話し合いはまさに脳を振り絞らんばかりにフル回転させて激論を交わした。そんな友人達との討論は楽しく、高校とはこんなにも楽しい所なのかと毎日ワクワクする幸福な日々であった。
ある日、弟が古い自転車を私にくれた。なかなかスピードが出る5段ギアのスポーツタイプで、気に入ったので高校近くの駅に置いてそれで通学するようにしてみた。確かに楽にはなった。しかし、毎日が味気なく、何かが欠けているような感覚が頭から抜け切れなかった。そんな心のわだかまりを見透かしたのか友人から「渡邊君は最近体力落ちたんでないの。歩かないで自転車通学しているから。それでは体育祭で勝てないよ。」一瞬その意味がわからなかった。体育祭と言っても新設校だから1年生しかいない。勝とか負けるとかの意味すら無いと思っていたからだ。なんでそんな事を言うのかしばらく考え続けた。
土曜日の午後、自転車に乗り、近くの海に出かけた。頬に心地良い潮風を感じながら海沿いの漁師町をのんびり散策した。木造の漁師小屋の前で遊ぶ子供たちや海苔を干したり網を繕う漁民を眺めながら私は友人の言葉の意味を反芻するように考えていた。そしてその日から自転車を駅に放置し、また友人たちと3キロの道のりの討論会に参加するようになった。私がいない間に仲閒が増え、討論する内容も増えた。私は自販機で購入したドクターペッパーを飲みながら青春の時間を楽しんだ。
そんないつもの討論をしていた通学路で、遠く100メートルほど先に野犬が見えた事があった。小走りに歩いている。あいつらまた襲ってくるのだろうか。みんなで犬を凝視していると仲閒の一人が大きな石を持ち、遙か彼方の犬に向けて投げつけた。彼は犬の歩行速度を計算し、犬の予想到達地点に向けて石を投げたのである。放物線を描いた石は何と見事に犬の胴体に命中したのである。「キャイン」悲鳴とともに犬は一目散に逃げていった。私たちは歓声を上げ、互いにハイタッチして喜びを表現した。
高校卒業の日、駐輪場に放置してあった自転車を見に行くとそれは無残に朽ち果てていた。私は錆だらけの自転車を引っ張り出し、薄汚い運河に向かって思い切り投げつけた。自転車はズブズブとヘドロの川面に沈んでいき、やがてすっかり見えなくなった。