高校を卒業して1年も経つとすっかり自分は大人だと思い込み、タバコを吸ったり酒を飲んだりする輩がいる。実のところ年齢的にはまだ19才だから少年なのである。それでもこの年齢の少年達は高校も卒業したし、就職して自分は社会人として十分自活しているという気概が優先し、世の中の自分たちを見る目に全く気づかない。こんなくちばしが黄色い少年達の背伸びした顔は今から考えると実にとあどけないと思う。
ある日、卒業式から1年経過し、皆の元気な顔を見たいので体育館に集まらないかとの通知が届く。手紙は3年生の時の担任の先生からだった。その頃の私はまだ専門学校に通う学生で、休日のけだるい日をかつての仲間達とのんびり過ごすのも良いかなと考え、出席することにした。久しぶりに高校の近隣駅に降り立つと、僅か1年とはいえ、駅前はかなりの変貌をとげ、バス停の位置を探すのに苦労した。
さてバスの終点で降り、校門をくぐるとかつて教室として使用されていた建物は、今は部活の部屋として再利用されているようだ。やがて体育館に到着すると、数にして100人は来ていると思われる大勢の元生徒達が普段着で談笑している姿が見える。しかしその姿が制服では無いことに若干の違和感を覚える。中には何を考えているのか、体育館の脇でタバコをくゆらせながら「やあ久しぶりだな。」などと声を上げている者もいる。その後、校長先生の懐かしい声を聞いたり、同じクラスだった友人と近況を話し合うという、誠に当たり前な光景が繰り返されていた。
その時、ふと体育館の外を見ると30人は下らないと思われる生徒達、特に女子がたくさん集まっている。何事かとその場に行ってみると、そこには卒業後に航空自衛隊に就職したM君が立っていた。全身を真っ白な詰め襟金ボタンの制服を着こなし、バッジの付いた制帽をかぶり、白手袋で光り輝くエナメルの黒靴を履いた姿は実に凜々しかった。M君は当時体育会系のクラブに所属していたが、その頃から女子には人気があった。180センチを優に超える長身でキリリとした顔立ちは誰もがうらやむものであった。そのM君がさらにかっこよさをバージョンアップして明るい陽光の下に自分をさらすものだから、男子も女子もこぞって集まり、彼の話しを聞いている。「今は厳しい訓練の毎日ですが、いずれ戦闘機に乗り、大空を飛び回りたいです。」そんな事を言っている。「来週から九州方面に転勤となるので、もう皆様とも会えないと思います。」そうか、九州か。こいつもいつか敵の戦闘機に打ち落とされて、海の藻屑と消えるのか、そんな事を考えながら祖父の弟が海軍の少将だった事を思い出した。
この大叔父さんは機関将校とも呼ばれ、当時は潜水艦のエンジニアとして活躍していた。このあたりの技術は秘密裏に覆われており、家族といえども絶対話さなかったようだ。戦時中は潜水艦なので米軍にも発見されることなく、ドイツまで行って帰っていたようだ。太平洋戦争が始まる前は、イギリス海軍に留学しており、そこでみっちりと訓練を受けた。イギリス海軍には多くの友人がおり、親密な交友を結んでいたのに、開戦でいきなり敵機同士になったので面食らったようだ。
戦後はA級戦犯として巣鴨刑務所にぶち込まれ、出所後は公職追放で仕事には苦労したようだ。M君がこれからどれだけ出世するかわからないが、少なくとも前線の兵士となって戦う事にはならないよう祈った。あの白い制服姿が死に装束になるのだけはご免こうむりたい。