医学研究室2

行政書士事件雑記 行政書士事件簿

 JR市ヶ谷駅を降りると靖国通りを少し歩き、大きなビルの前に出る。なかなか警備が厳重そうなビルのようで、ガードマンが入る人を全て厳重にチェックしている。どうも、身分証が無いと入館できないようだ。私はドキドキしながらガードマンに医学部教授名を告げると、あっさりと「どうぞお入りください。」と丁重に招じ入れられた。きちんと連絡が通じているようだ。

 数日前の事であるが、某大学の医学部教授からメールを頂き、腎臓病に関するNPOを設立したいとの連絡を受けた。腎臓は物言わぬ臓器と言われ、症状が出たときはすでに手遅れとか。そうならないように無料で腎臓病検査をするNPOを運営したいとのこと。検査次第で提携病院へ回すようで、運営費用はその病院や薬品会社等からの寄付でまかなうようだ。とにかく詳しい話しを聞かねば仕事が始まらない。私は指定された階までエレベーターで登り、廊下を歩き始めた。

 以前行った事がある某国立大学医学部は戦前の建物で、中はまるで博物館の如く、かび臭く、消毒臭く、天井には意味不明のパイプが縦横に走り、暖房用の蒸気管まであたりにむき出しとなっていた。これなら戦時中を舞台にした映画の撮影に使えそうである。おまけに机の上には山のように書類が積まれ、人々はそこに埋もれるが如く研究をしていた。

 それに比べてここは広いフロアにガラス張りの小部屋がいくつもあり、その中でゼミ生と教授が何やら討論したり、PC端末で文献を探したりしている。やはり私大は商売なので生徒の居心地を大切にしているのであろう。ひとまずアポの時間まで間があるため、フロアを探索した。ざっと見た感じではまるでIT起業のオフィスのようである。トイレも綺麗で、各研究室も整理整頓がきちんとされている。本当にここは大学の医学部だろうかと少し考え込んでしまう。

 さて、時間になったので研究室の扉をノックすると、中から白髪小太りのいかにも教授と言った風貌の先生が現れた。早速大きな机の前にある綺麗なオフォスチェアに座り、詳しい話しを聞くことにした。先生としてもまだ雲をつかむような話しらしく、これからNPOの活動内容を徐々に詰めていくとのこと。私は大体の概要がつかめたのですぐに事務所に戻ることにした。その後、このビルには何度も通う事になった。あまりに何度も訪れるので警備員に顔を覚えられてしまい、時々顔パスだけで入ることもできた。やがて、NPOの概要が決定し、本部事務所を大学の学生会館の中に置くことで決まり、設立を完了させた。

 その後、NPOを内閣府認定NPOにしたいとの教授の要望があり、今度は内閣府に何度も出かける必要が生じた。しかし、これがなかなか困難な道で、認定が降りそうな気配がない。提携税理士と共に頭を抱えていたら教授から「内閣府の審議官とアポを取ったから一緒に来てくれ。」との連絡が。私は普段めったに着ることのないスーツを着て、そのお偉いさんに会うことになった。50畳くらいあるオフォスにはフカフカの絨毯が敷かれ、そこに木製の豪華な机が1台だけどんと置かれている。机の後ろには大きな日の丸旗まである。こんなに広いのにこの人だけのオフィスらしい。その偉い人は「私の友人が国税局の長をしているから話しを通しておくよ。」そんな事を言われ、内閣府を後にした。教授は「これでもう大丈夫。」というがまるで狐につままれたようでポカンとした。「コーヒーでも飲もう。」そう言われてタクシーをつかまえ、赤坂のエクセルホテル東急で千円以上もするコーヒーをご馳走になった。こんな高級な場所に来ることはめったにないのでキョロキョロし、これだから千葉の田舎者は困ると自分で自分を卑下していた。教授は「これからどうする。駅まで送ろうか。」いわれたが、「しばらく付近を散策します」そう言ってまた歩き出した。

 外堀通り沿いにはガラス張りの綺麗なビルが立ち並び、日本の中枢にいることが実感できる。やがてこんもりした森が見えたので何かと思うと日枝神社と看板がある。小高い丘を登りきると古い本堂があり、博物館のような建物もある。中に入ると日本刀などが展示してあり、かなり歴史のある神社であるようだ。とても東京の真ん中にいる感じがしない林間とした雰囲気のくつろげる空間である。それより東京のど真ん中にこんな場所があることが驚きであった。その後、認定はすんなり通り、めでたく認定NPO活動は順調に回りだしたのである。