117クーペの先輩

職業放浪記

 築地の造船会社のコンピュータ部門に勤めていた時分であるが、直属の先輩で117クーペに乗っていた人がいた。今となっては幻の名車であるが、当時はトラックバスメーカーであるいすゞ自動車も乗用車をたくさん製作していたのである。先輩はコンピュータプログラムのプロで、長身長髪のメガネを掛けたいかにも白色ハッカー然とした風貌と素早い身のこなしと相まってかなり格好がよかった。プログラミングでわからない部分があると良く聞きに行き、丁寧に説明しくださるので尊敬もしていた。
そんな先輩も自転車という趣味があり、週末の暇な時は都内各所を走り回っていたようだ。


 あるとき残業で遅くなり、帰ろうとすると先輩が「新橋駅まで送るよ。」そう言ってくださるので私は会社の玄関で待っていた。そこに颯爽と現れたのがいすゞ117クーペである。イタリア人ジウジアーロがデザインした車体はまるで外車のようであり、丸みをおびた先頭部分は日本車の特徴もやや合わせ持っている。早速助手席に乗り込むと美しいインパネの光が夜光虫のよう光り輝き、咆哮に連動して素早く跳ね上がるタコメーターの針の動きが鮮やかであった。ひとたび走り出すとエンジン音もスポーツカーのそれで、シートを通して腹にずんと響き渡る。もうこれだけで期待感がいやおうなしに高まる。


 車は道幅の広い海岸通りに出た。すぐさま先輩は鋭く加速し、ぐんと速度を上げた。シフトチェンジの度に加速が強くなり、良い車だとつくづく思う。「こんな車が欲しいですね。」私がそう言うと先輩は「この車はもう売るよ。」驚いて顔を見ると「俺はこの会社を来週限りで辞める。家も引き払う。」「今度は何をするのですか?。先輩ほどのスキルがあればどの会社からも引っ張りだこでしょう。」「いや。自転車で日本一周をする。前々から計画していたことだ。いつかしたいと思っていた。あまり年を取ると出来ないし、今が最後のチャンスかと考えている。」「日本一周を終えたらどうするのですか?」「決めてないね。」そんな会話だけでもう新橋駅に着いてしまった。


 助手席の扉を閉め、改めて117クーペの外観を眺めた。新橋駅周辺に渦巻く種々雑多なネオン街が放つ極彩色の煌びやかな光が、磨き抜かれた車体に反射して玉虫のように輝いている。車がゆっくり動き出すと虹色の光点が点滅しながら塗装面を滑らかに流れていく。そんな姿をうっとり眺めている自分がいる。その時ふいに窓から先輩が手を突き上げ、鋭いエンジンの咆哮をあたりに響かせた。私はこの車の最後の見納めかと少し寂しい思いで見送った。


 翌週、先輩は会社に自転車で出勤してきた。「117クーペは?」私が聞くと「もう手放した。」あっけなかった。夕方になり、先輩は職場のみんなに別れの挨拶をするとリュックに荷物を詰めて下に降りて行った。私も下に降り、先輩を見送ることにした。「じゃまたどこかでな。」「日本一周頑張ってください。」そんな言葉を交わしてから先輩は自転車にまたがり、すでに暗くなりつつあった新大橋通りにこぎ出して行った。あれから随分経つが、あの先輩はどうしているだろうか。日本一周は達成したのであろうか。およそ半年後に私もこの会社を辞めてしまったので確かめようもないが、日本各地で見聞を広めた先輩が、それを糧にITの世界で活躍しているであろうことを私は確信している