無能の人2

職業放浪記 職業放浪記

 ビル管理会社というものは一種の便利屋であり、それこそビル内で発生するありとあらゆる雑務を全て引き受ける総合力が求められる。私が勤めていたビル管理会社も電気設備点検という主要任務はあったものの、トイレのバルブが壊れれば修理するし、ボイラーの調子が悪ければ点検もした。私も一応電気工事士以外にボイラー2級も保有していたのでその点では重宝された。ところがこの会社の課長がとんでもない男で、とにかくやることなすこと全てが支離滅裂であった。一番まともなのが最古参のおっさんで、私はこの平社員のおっさんをいつも尊敬と敬意のまなざしで見つめていた。

 ある日の事である。ビルのテナントからコピー機を増設するのでフロアにコンセントを増設して欲しいとの要望があった。課長さんは現場も見ないまますぐさま快諾し、私に「渡邊くん。コンセント増設してよ。」そんな事を言う。私は該当フロアに行くが、どう見ても分電盤からの距離が遠い。テナントの方に聞くとフロアの一番端になるようだ。天井を見上げると太い梁が走っている。もしかしてこれがネックになるかも。そんな嫌な予感は後に的中してしまう。

 私はテナントが休みの日に出勤し、用意したVVFケーブルやそのほか雑多な部品工具を揃え、ヘルメットとランプで天井裏に入ってみた。私の予想では分電盤からケーブルを天井裏に這わせ、コピー機のあたりで天井板に穴を開けてケーブルを降ろせば今日の仕事は完了だとやや楽勝気分でいた。ところが天井裏をそろそろ歩くと何と目的地に着く前にビルの巨大な梁にぶつかった。配線用の貫通穴を探すがどこにもない。これは困った。私は下に降りてから課長さんに「梁があるのでケーブルが貫通しません。梁の下を通して良いですか?。」聞くと「いや、ケーブルは梁を貫通させろ。」驚くような事を言い出した。「貫通ですか。」「そうだ、ノミとハンマーで掘り進めば穴はあく。」そして本当にそんな工具を持ち出してきたのである。

 私は仕方なく天井裏に入り、石膏の天井板を踏み抜かないようにベニアを敷き、その上にあぐらをかいて梁にノミを当て、ハンマーで打つという江戸時代の佐渡金山掘りのような作業を開始したのである。しかしこの梁のコンクリが堅いこと。相当の力を入れてもなかなか割れない。私は暑い天井裏で汗をかきながら数時間にわたり破壊作業を継続した。そのうち課長さんまで作業服を着てきた。何をしでかすかといぶかると、何と「反対側から掘り進めれば良い。トンネル工事と同じだ。」そんな事を言いながら梁の反対からも破壊作業を始めた。こうなるとビル全体にカキンコキンと振動音が鳴り響き、2人の男が汗みどろでコンクリを掘り進む前代未聞の作業風景となった。さて掘り進めると当然鉄筋が出てくる。私は「鉄筋があるのでもう先に進めません。」そう弱音を吐くと、課長さんは「鉄筋か。ならディスクグラインダーで切断しよう。」そんな恐ろしい事を言い出した。私は「危険なのでやめましょう。」言うが、「イヤできる。」と言い張る課長と押し問答を繰り返していた。

 そんなガタガタしていた時である。例のベテラン平社員のおっさんが出勤なさったのである。「おめーら何やってんだ!。そんな事したらビルが崩壊するぞ。梁は上のフロアの荷重を支えてんだ。きちんと構造計算して梁の高さや鉄筋の本数が決まっている。勝手に梁を削ったり鉄筋切ったりしたら地震の時梁が折れるじゃないか。すぐさま作業を中止しろ。」すさまじい剣幕で怒っている。私はただすごすごと作業を中断した。課長さんもさすがに参ったらしく、そのまま黙って帰宅してしまった。おっさんはさらに私にこう言った。「何でこんな馬鹿な事をしたんだよ。青の洞門じゃあるまいし。」そう言われて九州の青の洞門の話しを思い出してしまった。生涯を掛けて岩をくりぬき、人々のために道を整備した偉いお坊さんの話である。

 私はおっさんの言われたとおり、この事件がばれないように天井裏に忍び込み、割れた梁の部分に段ボールをボンドで貼り付け、コンクリ色のペンキを塗ってこの失敗を覆い隠したのである。

 さてあれから随分経つが、あのビルはどうなっているのだろうか。もしまだ建っていれば今も梁には大きな欠けがあるはずである。そして将来大きな地震が来たとき、きっとその部分が折れてビル全体が崩壊するに違いない。そう考えると何となく恐ろしい感じがするのである。