私が勤務していたビル管理会社はオフィスビルだけでなく、普通のマンションも管理していた。ただ電気工事士の私が出て行く程の物でもなく、特に用事も無いのでその存在は知る由もなかった。
ある日課長さんから「品川のビルで電気工事がある。様子を見てから目黒のマンションの給水タンクを修理しに行く。」と言われた。私はまたこの課長さんの運転で行くのかと考え、やや憂鬱になる。何しろ天文学的に車の運転が下手で、助手席の人は常にヒヤヒヤする苦行を強いられるのである。本当は私が運転したいのだが。それでも仕事なので仕方なく薄汚いトヨタのバンを引っ張り出し、工具類を載せた。課長さんはまるで当たり前といった風情で運転席に座り、回りを見回す事無くいきなり走り始めた。都内は車線が多く、行き先ごとに車路が厳重に決められている。しかし課長さんはまるで意に介せず、勝手気ままに車線変更する。そのたびにクラクションが激しく鳴り響き「なんだうるさいな。」つぶやきながら運転している。
それでも何とか品川のビルにたどり着くことができた。私は「工具は何をお持ちしましょうか。」聞くと「いや、今回は見るだけだから工具はいらない。そのまま行こう。」そう言うので私は丸腰で現場に向かう。ところが着いてみると発注した電気工事が予定より大幅に遅れている。原因を探るためには一部の分電盤を開けて見る必要性が出てきた。私は「工具を車に取りにいきましょうか?。」今にも走り出しそうに言うと、課長さんは「いやあ、面倒だ。」そんな事を言いながら床に放置してあるどこかの電気工事士の腰袋から勝手に工具を引き抜いた。「大丈夫なんですか。」「いいんだよ。」そう言われたので私はその工具を使って作業した。
しかしそのうちその工具の所有者が帰ってきて「なんで俺の工具を勝手に使うんだ。それじゃ泥棒じゃねーか。」かなり怒っている。私は「すみません。車に工具を置いてきてしまい、ちょっとだけと思い使いました。」平謝りするが怒りはなかから収まらない。見ると課長さんはどこかに消えてしまっている。全く肝心な時に雲隠れするとんでもない課長さんだ。何とかその場は収まり、私が車に戻ると課長さんはもう運転席でタバコをふかしていた。「さて、目黒のマンション行くか。」まるで何事も無かったかのように出発した。
目黒のマンションはコンクリ3階建てのかなり古い建物で、見ようによっては崩壊寸前とも言えなくも無い。荒れ地のような場所に錆食った鉄塔が建ち、その上に鉄製給水タンクが載っている。どうも地下水をポンプでタンクまで持ち上げ、そこから住宅に配水するタイプのようだ。このポンプが上手く作動しないとか。分電盤を開けて見るが中の配線がかなり腐っている。これは多分接触不良だろうと見当を付け、車からボロ布を持ち出し、掃除してから電極にCRCを噴霧する。しばらくブレーカをカチャカチャしているとなぜかポンプが急に動き出し、凄い勢いで水が揚水されていく。すぐさまマンション管理人さんの窓が開き、「水出ました。」そんな事を大声で叫んでいる。今日の業務は終了だな。安心して帰り支度を始めた。
不意に課長さんが「近くにスーパーがある。何か食って行こう。おごるよ。」私は嬉しくなり、ダイエーの碑文谷店と書かれた店に入る。中にあるイートインで適当な物を食べていると以前この店に来た事がある、という記憶が急によみがえる。私は世田谷の駒沢出身なのでこの辺りは庭みたいなものだ。なら電車で帰ることができる。もう課長さんの運転は懲り懲りである。「今日は電車で帰ります。その方が早く家に着く。もうここでよろしいです。」そう告げてから店を後にした。
日は落ちかけ、夕闇が迫っていた。東急の学芸大学駅までの道を、私は懐かしさで一杯になりながらぶらぶら歩いた。子どものころ、友人と日が暮れるまで碑文谷公園で遊んだ記憶がよみがえってくる。暮れなずむ目黒の町を味わいながら、私はどこか洒落たカフェにでも寄ってから帰ろうかと思案するのであった。
