ビル管理業の終焉

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 ビル管理業という商売がある。ビルのオーナーの依頼でビル全体の清掃電気水道関係の管理を一手に引き受ける一種の代行業である。そんな会社にいた事がある。電気主任技術者という資格を持っていたため主に電気管理担当で採用されたのである。たいていビルの屋上にはキュービクルと呼ばれる鉄の箱が置かれている。これは変電設備で、ここで受電した高圧電気を電灯で使う100ボルトやエアコン用の200ボルトに減圧している。中にはビルの地下に変電設備を置く所もある。管理会社は都内に多数のビルを受け持つため、私は地下鉄に乗り、ぐるぐる回りながら電気設備の巡回点検をしていた。やることは決まっていて、電流や電圧、ケーブル損傷をチェックする。あとは温度に異常がないか、油漏れや水の侵入がないか。一番怖いのはカラスやネズミによる地絡事故なので動物侵入形跡チェックも欠かせない。


 中にはひどく古いビルもあり、その場合はビル内の漏電危険個所をよく点検した。電気設備はキュービクルだけではない。エアコンも含まれるので室外機は入念にチェックした。本当は蛍光灯の交換も行うのであるが、なぜかほとんどの事務所は従業員が自分で交換している。不思議に思い先輩に聞くと「彼らは管理会社が購入金額に相当上乗せした高い金額で蛍光灯を納入していると思い込み、管理会社の交換を拒否しているのさ。本当は購入金額で儲けなし、無料サービスで交換しているのにね。」たまにみるとネクタイワイシャツの事務員数人が事務所仕様のでかい蛍光灯を苦労しながら交換しているのが見える。脚立がないので机の上に立ち、ずいぶんと時間がかかっている。たまに新品の蛍光灯を下に落とし、割って慌てて清掃していることもある。管理会社に任せればその時間事務員は仕事ができるのに。蛍光灯の交換代をケチり、その分事務員の仕事の効率を下げることで差し引きマイナスになることは確実である。経営者は経費節減と得意になり、さも効率経営しているような気になっているが、実際は意味のないことをしている。管理でビルを回り、気づいた点をよくメモしておき、後ほどレポートでまとめて上司に改善方法を提案したりしていた。


 そんなある日、勤めている管理会社の役員会議に呼ばれた。私は普通の社員なので会議室の隅にパイプ椅子を持ち込み、そこで会議の様子を観察した。議事内容は管理業の今後や、管理ビルを増やすにはどうすればよいのか。そんな点が話し合いの主題ではあったが、広い会議室の大きな丸テーブルにドンと腰を下ろした10人ほどの役員はまるで実の無い話ばかりをしている。議事は全く進展しない。話がかみ合わないだけはない。関係ない話を急に始めたり、だれが聞いてもナンセンスな意見ばかり飛び交う驚くような会議であった。

 終了後、しばらくして私は社長に呼ばれた。「どう思う。あの会議」私は正直に「雑談の場のようでした。」「そうだろ。いつもあんな感じだ。役員が無能ばかりで嫌になる。このままだとこの会社は潰れる。そこで相談だが、君のレポートは良く読ませてもらっている。なかなか良い内容だ。ぜひ君にはすぐとはいかないが役員になってもらい、当社の経営に参加してほしい。」あの変な役員会議に参加している自分を想像してみてゾッとした。会社は役員を1人変えたくらいでは変わらない。それは社風のようなものが伝統で染み付いているからだ。しかし一番嫌であったのが役員会議のたばこである。役員全員がプカプカ吸い、役員室は燻製機の中のようになっていた。以前いた造船会社での人間燻製の怖い経験が頭をよぎる。数日後、私は社長に辞表を書いてこの会社を辞めた。