自殺してこの世を去った極道Aのアパートは銀行との話し合いで何とか任意売却に持っていくことができた。問題は極道A の相続人である妻Bの存在である。これが堅気の女なら何の問題も無い。法的手続きを粛々と進めれば良い。しかしBは一癖も二癖もあるヤクザな悪女である。考えようによっては極道A よりたちが悪い可能性もある。これは相当もめるな、そんな嫌な予感を抱きながら私たちは悪女Bと立ち退き交渉をすべく何度もこのアパートを訪問するはめになった。
冬枯れの寒風吹きすさぶ夕暮れ時の薄汚い町を、友人と2人でブラブラ歩き、埋め立て地に掘られた工場排水のドブがすさまじい悪臭を放つような場所にあるボロアパートに足繁く通った。付近には昭和30年代に建てられたと思われる木賃アパートが乱立し、開け放たれた窓から物干し竿が突き出され、そこにおびただしい数のボロ布に近いような洗濯物が運動会の万国旗のごとくはためいていた。夕暮れ時ゆえ七輪でも焚いているのか、魚の煙も付近に立ちこめている。道路には空き缶や生ゴミが散乱し、下手に歩くと人だか犬の糞を踏む。私にとってはBに会うことも不快だが、この町に来ること自体が苦痛であった。
毎回の話し合いの内容は大体お金に関することで、悪女Bが言うにはここから立ち退いても良いが移転先の住居はそちらで確保すること、立ち退き料は300万円が必要との案が出されていた。ただBの性格からしてこの額はかなり膨らむと見た。私たちはとにかくこの額で何とか手を打ち、Bに立ち退いてもらう方が先決と考えた。
さて、いよいよ立ち退きの日がやってきた。私と友人はドキドキしながらトラックを用意し、Bの家財道具全てを引っ越し屋に乗せてもらうと、こう告げた。「これでこのアパートともお別れですね。」ところが「立ち退き料が少ない。もう200万円上乗せして。そうじゃないとあたしゃここからテコでも動かないよ。」Bはガランとした部屋に座り込んでいきなりとんでもない事を言い出した。驚いた友人はとにかく引っ越し屋を待たせる訳にもいかないので、慌てて銀行に走り、200万円を用立てて何とか悪女Bをアパートから叩き出すことに成功した。友人は「あのクソ女、どこまで欲が深いんだ。」あきれて憤慨している。その後弁当工場を解体し、2階の部屋はリフォーム屋に頼んで内装に手を入れ、水回りも直してから貸し出すことにした。しかし悪女Bはその後も友人にたかり、小遣いよこせなど無理難題を持ちかけ、それがムリとわかると周りの人々に「私はあの男にだまされて家を奪われた。」そんな話しを言いふらしていた。もっともこの女が言うことなのでほとんどの人々は相手にしなかったようだ。
さてアパートの2階が埋まり、何とか家賃収入が入るようになると1階の住民が気になり始める。1階は外国人が住んでおり、未だにどんな人々なのかわからない。私と友人は1件ごとに訪問し、アパートのオーナーが変わり、家賃の振込先も変更になった、そんな事を告げるのだが、どうも日本語がよくわからないようだ。仕方なく英語で契約書を作成し、英文で案内を作成して丁寧に説明した。そこでわかったのが住民のほとんどがフィリピン人であり、契約者が一人なのに住んでいる人は3~5人ほどいるようだ。これは外国人にありがちな事例で、契約者と申告した同居人以外は住めない日本人の常識が通じない外国人アパート独特の慣習といえる。
ある日、ホセ(仮名)という男からの家賃振り込みが止まった。2~3ヶ月様子を見たが振り込む気配が全くない。そこで私と友人はこのホセの部屋を訪ねてみた。ホセは40代くらいの男で、失業していて家賃が払えないと訴える。私は行政書士であり、彼のビザがどうなっているのか気になり始めた。「パスポートや就労ビザ見せて。」私がそう告げると彼の口から出た言葉は「ワタシ、オーバーステイです。」何と彼は観光で日本に来てそのまま居座り、10年も無断で働いていたようだ。もしこんな事が周りに知られたら入管に捕まることは確実である。さらに大家や管理会社の責任が問われる可能性もある。私は友人に「どうする?。このままではまずいよ。」聞くと「とにかく未払い家賃は頂かないと。携帯の番号教えて。」ホセと携帯番号を交換しあっている。その後ホセは急に居なくなった。家に行くともぬけのカラ。ガランとした部屋には何も残っていない。もちろん携帯も繋がらなくなっていた。今でもホセはどうして居るかなと時々心配になる。
その後管理が面倒になり、欲しい人が現れたので極道アパートは売却してしまった。さて、あの悪女Bはその後どうしているのか何となく気にはなっていた。ある日友人は町でいきなりみすぼらしい老婆に声を掛けられた。それが悪女Bであった。その姿は何度見ても本人とはわからない程老けきり、やせ細り、憔悴し切った見るも無残な姿であったという。その時友人が悪女Bから再度お金を無心されたかどうかはわからない。話そうともしないし、私も聞く気がしないのである。