まだ高校生2年生くらいの頃である。たまたま出会った女子高生から、夕方家に来ないかとお誘いがあった。別にいやらしい下心があったわけではないが、行ってみることにした。呼び鈴を押すと玄関からその女子高生が出てきたが、すぐ後ろから父親も出てきて、私の腕をグイとつかむと、ちょっと外で話そうと述べ、家の前に停めてあった車に無理やり押し込まれた。どこに連れていかれるのか不安ではあったが好奇心の方が上回った。
車は何やら人がたくさん集まる集会場のようなところに入っていく。車が停まると素早く正装の青年たち数十人が車を取り囲んだ。私にもう逃げ場はない。観念して車を降りると、いきなり青年たちは集会場の入り口に向かって両側に整列し、いわば映画祭のレッドカーペットではないが人の道を作ったのである。なんとなく恐縮した気分で、やや恐る恐る歩を進めたが、私が通過するたびに左右の青年たちは深々とお辞儀をし、何やら大声で叫んでいる。多分歓迎の言葉だと思うのだが、緊張のあまり言葉の意味が良くつかめない。何とか入り口までたどり着き、案内の先導で部屋に入るとそこには巨大なおどろおどろしい祭壇のような物が据えられてある。その大きさは見あげるようなという表現は嘘ではなく、唖然とする代物であった。そしてその前に50人くらいの人々が座り込み、何やら不可思議な呪文を唱えながらお祈りをささげていた。私はその末席に陣取り、腕組みしてじっと祭壇をにらんでいた。やがて誰かが祭壇の扉を開いた。多分、彼らにとってはありがたい瞬間なのであろう。急に会場が静かになり、付近の空気がやや硬くなった。その後も何だかんだと様々な儀式があり、その後経験を話す時間が来た。
ある一人は「私は借金で首が回らなくなり、本当に苦しんでおりました。何度も返済を待ってくれるよう頼みましたが受け入れてくれません。本当にこまってしまい、回らなくなったこの首をいっそのこと吊って楽になりたいとまで考えておりました。しかし、こちらに来て信心をしましたら、その借金取りの家が火事になり、そいつは死にました。」そんな話であった。話が終わると人々から一斉に拍手と歓声が上がった。私は「まさかお前が火をつけたのでは。」と言おうとしたがやめた。この数ではかなわない。それに逃げ場がない。経験はその後も続いたが、お金にまつわる話が多かった。つまらないので力づくで帰ろうかと算段していると、その父親が「喫茶店でコーヒーでも飲むか。」というのでそれを好機ととらえ退散した。喫茶店ではほぼ3時間にわたり、この団体に入信するよう説得されたが、結局私は最後まで突っぱねた。私はその父親に丁寧にコーヒーの礼を言うと喫茶店を後にした。
船橋にはカルト系の団体が多い。私の近所にも見た感じ普通の民家であるが、髪の長い目がうつろな不気味な女性が出入りする道場があった。それはある有名なカルト団体本部だった。私が初期のころ行政書士事務所を置いていた船橋のオフィスビルの2件隣はあのサリンの麻原がかつて針きゅうマッサージの店を開いていた場所である。
さて、すっかり暗くなった夜空を見上げながら私はこの美しい星空を作った方のために人生をささげることを決意したのである。