プラスチック工場の2階

職業放浪記 職業放浪記

 壁紙や床材を作る塩ビ工場で働いていたことがある。当時は現場ではなく経理部だったのでどちらかというと工員を管理する立場だった。当時は若いゆえに何となく現場の職工たちを下に見るような気配を纏っており、自分でも嫌な奴だと薄々感じていた。

 当時はNECの小型機があり、毎日コボルを用いたプログラミングで忙しかった。まだ会社が在庫管理システムを紙帳簿から電子化したばかりで、いつも現場が慌ただしく混乱していたことは確かだ。モニタに写し出される在庫状況と紙の帳簿を見比べて数字に違いがないか、あればそれは入力ミスなのかプログラムのバグなのか探る必要があった。ところがいつ見ても帳簿とモニタとは数字で齟齬が生じ、歯がゆい日々が続いていた。その頃はまだ船橋の実家にいたのでかなりの時間をかけて通勤する必要があった。始業は朝8時からなので家を6時には出た。

 そんなある日、同じ経理部の年増の社員から「私の知人がアパートを経営していて、1部屋空いています。そこに入居しませんか?。」そんな誘いを受け、渡りに船とばかりに物件を調査することなく入居を決めた。ところがこの物件は多分私の人生で最悪の部類に属するもので、2階建てとはいえ、1階はプラスチックの射出成型をする工場であった。この工場の製作工程としてはペレットと呼ばれるプラスチックの小さな粒々があり、こいつを高温に熱すると液化する。この液を金型にビューと押し込み、冷えれば製品ができる。100円ショップで売っているような安物プラスチック製品はたいていこの方法で造られている。そんな工場の上に部屋があるのだから当然騒音はひどい。早朝から夜8時過ぎまでキューンという金属音のような気だるい音が終始響いていた。また高温でプラスチックを加熱するため1階の工場の熱気が私の部屋まで床板を通して伝わってくる。そのため夏になると部屋の温度は軽く50度を超えた。クーラーなんてものはなく、窓を開け放って寝るのだが部屋にこもる熱気は朝まで出ていくことは無かった。払暁のまどろみの中で体を動かすとジャブジャブと水の音がした。プールで泳いでいるような溺れているような夢を見ていると、全身汗まみれで布団は池に落としたようなひどい水浸し状態になっている。素早く起き上がるとまずパジャマを流し台で雑巾のように絞り、水を抜いた。布団はそこら中青カビが生えてもはや白くはない。そして部屋中のあらゆる食品が青カビやキノコで覆われ、壁を触ると熱したフライパンように熱い。そんな中国の刑務所みたいな部屋であるが、若いので半裸で暮らし、時々トイレタンクの水を体にかぶって涼をとっていた。

 2階には全部で3部屋あり、特に交流は無かったが、ある日部屋にいるとふいにノック音がする。何だろうと扉を開けると向かいの部屋の青年が立っていた。「自分なりに食事を作ってみたので食べませんか。」何しろ毎日カップ焼きそばである。これは上等と遠慮なく部屋にお邪魔した。そこにはすでに斜め向かいにある部屋に住む男も先客できており、高温アパート2階のメンバー3人が勢ぞろいした。向かいの部屋の男の料理の腕はかなりのもので、なんでも以前レストランで働いていたとか。長髪イケメンでいかにも女性にもてそうな容貌である。一方、先客で来ていた斜め向かいの部屋の男は刑務所帰りのような坊主頭のがっしりした体躯で、職人か土工のようだ。お互い年齢を言い合うと何と偶然同じ21歳であった。これは奇遇と互いに喜び合い、それからたまに部屋で食事をする仲となった。

 ある日、坊主頭の男がやってきて「バイクでいつも河原を走っているようだけどバイク好きなの。」私は「ここに来る前はヤマハのオフロードバイクに乗り、荒れ地を走り込んでいた。」そう告げると彼は「ホンダのCB400Nを借りてきた。すごいマシンだから乗ってみれば。」そういわれても私はオンロードマシンにはあまり慣れていない。それでも速いと評判のバイクには前から乗りたかった。意を決してマシンにまたがり、始動した。ホンダらしい甲高いサウンドが鳴り響き、心地よい。クラッチを切り、ギアをローに入れてアクセルをふかし、クラッチを素早く入れた。その瞬間、マシンは激しくスタートし、みるみるスピードが上がる。私はこの時ロードバイクをなめていたことを後悔する。試し乗りの場所がたまたま公園の前の細い道だったのであやうく街灯にぶつかりそうになった。焦った私はあわててハンドルを切り、その場に倒れ込んだ。驚いた坊主頭が駆け寄り、「大丈夫か。」聞くが特にけがはない。しかしハンドルに傷がつき、ミラーも曲がった。私は「弁償するから。」そういうが彼は「気にすることない。おれが何とかする。」

 そのバイクは近所の新聞配達の青年の物であった。彼に会って謝ると「気にすることないから。」そういうが私は「全く弁償しないのも何だから、なんでも言ってくれ」。しばらく考え込んでから「なら、うちの新聞を半年取ってくれ。」結局そこの新聞を半年取る羽目になった。