カット場の赤シャツ

職業放浪記 職業放浪記

 クロス(壁紙)や床のクッションフロアを作る工場で働いていた事がある。分野としたら住宅資材なのだが、実際は印刷物であった。巨大な輪転機が工場内に鎮座し、壁紙であれば紙をセットして印刷ロールを回し、次々と印刷してロールへ巻き取っていく。印刷に使うインクは熱発泡インクと呼ばれ、印刷後に連続加熱炉に紙が流れるとそこでインクが膨らみ、壁紙らしいイボイボしたエンボス模様が浮かびかがるという仕組みである。ただこの印刷ロールの交換が結構大変な作業で、機械が使えないために作業員が60キロくらいあるロールを人力で交換していた。印刷ロールはシルクスクリーン印刷のようなもので、模様の描いてある細かい網目の印刷筒がロールに巻き付いており、印刷筒面に模様のパターンで蝋が塗ってある。ロール内はインクで満たされているので、蝋の塗ってない部分からジワジワインクが染み出して紙の面に模様を印刷する。一応、交換作業に入る前にロール内のインクは全て回収するのだが、それでもロールの中は残存インクで充満しているので交換作業員は全身がインクまみれの無残な姿となる。そんなロールが3色とか4色あるのでだから壁紙もフロア材も模様変更は大変な仕事となる。よって一度輪転機を回すと壁紙もフロア材も何百メートルと一気に作る。しかし、問屋はそんな1種類で何百メートルも注文してこない。そこで必要になるのがカット場であった。

 私は経理部にいたが、問屋から注文が入ると品番何番、長さ何メートルと伝える。それをインターフォンでカット場に伝えると注文どおりの品番の品を好みの長さにカットしてくれる。そのカット場の責任者がやや風変わりな奇人の通称赤シャツであった。

 50がらみで春夏秋冬、常に赤シャツをまとい、特に用事も無いのに経理部に来る。何をするのかと思えば文句を言う。「なんで品番AER256は27メートルなんていう半端な数なんだ。あと3メートルでピッタリなのに半端だよ。」と言い出す。別の日は「PPT889はあと50メートルで終わりになるんだ。最初の注文が40メートル、次の注文が15メートルじゃ足りない5メートルのためにわざわざ輪転機回すのか。」と怒り出す。確かに言われてみればそうなのだが何でカット場の赤シャツがわざわざ経理部に文句を言いに来るか理解に苦しむ。それにカット用のカッターナイフを片手に文句を言うので迫力がある。多くは無視するが、事務のおばさんだけはいつも相手にしていて、文句のついでに茶を飲んでしばらく寛いでいく。本当はそれが目的ではないかと憶測していた。

 課長さんは「あいつはもともと現場の工員でロール印刷を担当していたが何かの不祥事でカット場に回された。あそこは冬は寒いし、夏は60度くらいになる。多分文句言うついでに休んでいるのだろう。」とのことであった。そうなるとカット場は使えない人間の巣窟で、普通の会社であれば窓際族にあたるわけだ。そう思うと赤シャツも可哀想な人生であり、愛と敬意を持って接しなければならないと感じつつ、ある日赤シャツに親切に接してみた。ところが私の事は完全に無視である。どうも相当の奇人、変人のようで、このままだと本当にカッターナイフで刺されそうなので私も無視を決め込む事にした。

 相変わらず赤シャツは経理のおばさんと雑談しているが、もしかして彼はおばさんに恋心を抱いているのかもしれない。