空気ハンマーと赤い鉄塊

職業放浪記 職業放浪記

 東京の下町にある塩ビ工場で働いていた事がある。荒川土手下のじめじめしたボロアパートから勤務先の工場まで徒歩で通勤していた。その途中に鍛造工場があった。通常、工場なら屋根のある屋内で作業する。しかし、そこはなぜか道に面した高さ1メートルほどの柵に囲まれた公園のような広場の真ん中に巨大な空気ハンマーが置かれ、その回りに銀色の耐熱服をきた作業員5~6人がいつも右往左往していた。始業は朝7:00らしく、いつも起床時刻頃になるとここの空気ハンマーの地面を揺らす振動が私の部屋まで響いたものだ。私も一応工場勤務なので安全靴に作業服を纏い、だらだらとアパートから工場への道を歩くと、当然彼らの作業風景を毎日眺めることになる。

 梅雨明けの7月の頃である。朝起きるとすでに外気温は30度を超え、アパート内は50度近くにまで温度が上昇していた。私はまるで真夏の自動車の中から逃げ出すが如く部屋を抜け出し、勤務する工場へと向かった。毎日何気なく見ていたこの道沿いの鍛造工場であるが、その日はなぜか柵越しにじっくり眺めた。理由は船のいかりを作っていたからだ。まるで飴細工を作るような工程が私を魅了した。最初は奥のキュポラみたいな炉から巨大な赤い鉄の塊が運ばれてくる。直径50センチはあるその大きな赤い鉄塊が空気ハンマーの真下に置かれると強い熱線が私の顔を火照らした。すぐに作業員が集まってくる。皆、この暑い真夏の炎天下に深いブーツに銀色耐熱服、頭はフードに目の部分だけ耐熱ガラスのスリットと見ているだけでこちらも暑くなる宇宙服の装いである。彼らは長い棒を持ち、鉄塊を支えている。職長のような男がレバーを引くと空気ハンマーはこの赤い塊を押しつぶし始める。レバーには熟練がいるようである。なぜならハンマーのストロークとプレス圧が微妙に変化している。多分ストロークとプレス圧の2つのレバーがあり、両手で上手く操作しているのであろう。時に強く、時に弱く、まるで飴細工を作る人の手のような空気ハンマーの動きは見ていて職人技と言える凄いものであった。ほんの数分でみるみる船のいかりの形にできあがる。完成まで見たいがこちらも始業があるのでそうもしていられない。後ろ髪を引かれる思いで勤務先に向かった。

 夕方、仕事が4:00に終わると私は急いで帰宅し、また鍛造工場を見に行った。大道芸人を見るように柵にもたれかかり、作業を凝視した。今度はクレーンの先端にあるフックのようなものらしい。やはり赤い塊をぐしょぐしょ押しつぶし、細長くしている。次に作業員が塊を回転させ、まことに上手いタイミングでハンマーが振り下ろされるとフックの形に先端がなめらかに折れ曲がる。後はコツコツと微妙なハンマーさばきで先端を尖らせて完成となる。毎日見ていたが作る物はいつも異なり、別に設計図を見ている様子もないので頭に入っているのかもしれない。作業員は5~6人、それにハンマー操作係がいるのでチームワークが大切な事は良くわかる。何しろ高温の鉄塊なので少しのミスは命にかかわる重大事故に繋がる。もし鉄塊を置く場所を間違えればハンマーを打ち損ない、鉄塊が飛び出して誰かに当たる可能性もある。夏の間私は朝に夕にこの作業を見続けたのである。

 ある日、私がいつものように見学していると、防護服の男がこちらを見ている気がした。私は彼らの顔はわからないが向こうは私の顔を覚えたようだ。彼だけでなく、チーム全員が私の事を観客のように見ているようである。それからはまるでロックバンドとたった1人の観客のような関係ができあがり、ファンである私は飽かずにこの鉄塊ショーを毎日見続けたのである。たまに複雑な形のものがうまく完成すると拍手をしたりした。
やがて季節は移ろい夏が終わり、秋風が吹く頃、私は勤務先の工場を辞めて実家に戻った。

 それから数十年経過し、仕事で空気ハンマー工場の近くを通る機会があった。どうなっているのか気にはなっていた。まだ操業しているのだろうか。ドキドキしながらその場所に行くと、そこにはもう何も残っていなかった。小綺麗な家が建ち並び、まるで空気ハンマー工場なんて最初から無かったかのように町が佇んでいたのである。